山の季節は一気に夏へ

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雪と新緑

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雪解け水

先日の金剛堂山は良かった。新緑、残雪、山歩きには暑すぎない天気、適度な歩行距離。無理をせず、”山を楽しむ”という目標を久しぶりに達成したような、とても良い山行になったと思う。暑い中を無理して長距離歩くと、どうしても次の日に疲れが残ったりする。

山歩きを楽しむわけだから、くたくたになっても意味がないと思う。人間の顔を一度も見ない山行でもあったし。ほんとうにリフレッシュできた。

今日はトレイルラン大会が開催されているだろう。明日は金剛堂山に登るイベントもあるようだ。山の上はとても良かったので、参加される方は存分にこの山の素晴らしさを体験されることだろう!

この山はほんとうに何回登っても、すばらしい山だと思う。今まで積雪期を含めて10回以上は登っているはずだが、一度も退屈したことはない。ハイキング、登山、山スキー、スノーシューハイクなど、幅広い楽しみ方ができます!

山の季節は一気に夏山の雰囲気になってきました。雪渓の下を流れてくる雪解け水は、凍るように冷たいし。雪渓の上を流れてくるすがずがしい空気は、今の時期、この場所でないと味わえないような気がします。

無理して北アルプスに行かなくても、雪の上を歩けるだけで、とてもいい気持ちになれますね。

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金剛堂山 新しい夏道 残雪たくさん(前・中・奥金剛)

久しぶりに山に行ける時間が出来た。しかし、忙しすぎてストレスが限界状態。こんな調子ではきつい山は無理と判断し、それほど遠く無いいつもの金剛堂山へ。去年の冬に起こった旧利賀スキー場(スノーバレー利賀ではない)の土砂崩落現場を迂回し、栃谷登山口を目指すと、なんと通行止め!

登山口を探していると、冬道に何やら新しい道が開けている!

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5月20、21日に開催される「TOGA天空トレイルラン」のコースが出来ている。ここから多分登ることが出来るだろう、と判断。

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いきなり、きつい登り。本当の山道だ。ミドルコースで31.9kmも走らなきゃならないのか。トレランは過酷だと聞いていたが。

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予想通り、いつもの道へ合流した。ブナの新緑が美しい。

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すごく爽やかだ

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片折峠に近づくと、だんだん残雪が出てきた。こんなに多いとは予想外だったが、雪の上は快適に歩けるので、大歓迎。

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いい天気

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片折峠の上部を進む。

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飛騨片麻岩だと思う。この山は20億年前の岩に、5億年前の岩がめり込んで出来ているらしい。日本で最も古い地層がある場所の一つである。

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雪稜も少し残っており、満足

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前金剛到着

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前金剛から先は、結構しっかりと残雪あり。

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中金剛(最高点)までは、雪の上を歩けて快適、快適。

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雪庇も無いし

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中金剛を過ぎて、奥金剛に向かう。振り返って一枚。

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中金剛は1650m。荒島岳より高いのです。

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最終到達点の奥金剛。かなり時間的に余裕があったので、ここで昼食を摂りながら1時間ほどばーっと過ごす。胃が痛いので、カロリーメイトとコーヒーだけの昼食だったが、カロリーメイトがこんな美味く感じられたのは初めてかもしれない。カロリーメイトは山ごはんとしては最高のご馳走なのかも。

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浄土を探す

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山に登ることは、僕にとってこの世のものとは思われないほどの「美しい世界」を探す旅でもある。

この世は悩み、苦しみ、悲しみ、恐怖に満ちた世界である。

浄土経典などでは「五濁悪世」と言っている。人間の心の混乱が、この世界を苦しみに満ちた世界にしている。

人間の醜さ、おぞましさ、汚らしさは、ここにどれだけ書いても書き足りないだろう。

手っ取り早く、この世の汚れを見たいならば、ネットで最新のニュースでも検索すれば十分だろう。戦争、殺人、暴力、ありとあらゆる人間の醜さを、毎日のように見ることができる。

いったい人間というのは、こんな存在である以外に、何か存在する意味があるのだろうか?と思うくらいだ。

しかし実際にそうなんだろうか? それでいいのだろうか? もし本当にそうだとしたら、それをどう受け入れていけばいいのか?

そんな世界が、楽しいだろうか?こんなニュースを毎日のように見せつけられて、生きる意味を、誰かが見出せるだろうか? おおきな苦しみだけの塊(かたまり)。それが人間社会の本体のようにも見えてしまう。その中で、少しでも楽しそうな表情をしているならば、杭でも地上に打ち込むように、そういう人間は叩き潰される。人間は他人が幸せそうにしているのを、我慢できない存在であるらしい。

自分もそうなのだ、その仲間なのだ、ということを受け入れても良いのか?ほんとうにそれでいいのか?

このような世の中。そこを離れて、「ほんとうに美しい世界」を探す。昔の人たちは、こういう動機によって、深山に登拝してきたのではないか?。ずっと大昔からそうなのである。

自分の身体が苦しみの原因であるならば、それを否定してもよいとすら思っていたのではないか? それは極限まで突き詰めれば「死」を意味する。今でもそういう人々は、確実にいる。

汚らわしいと思っている「生」、「死」。それらを包み込む存在。

汚らわしさや、汚らわしくないものとの区別もつかない、そういう世界。

大きな何かを、感じ取るために、山に登るのである。それが、人間社会にとって、どんなに無意味な行いであったとしても。

 

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