天候不順 暑すぎ 山に行きたくない

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最近の九州豪雨でも分かるように、地球は温暖化が進んでいるようだ。

暑さが「からっと」した、爽やかな暑さでなく、ミストサウナに入ったような、蒸気で蒸されるような、不快な暑さなのである。

山も朝のうちは良いが、昼ぐらいになると、湿気と入り混じった熱気が、麓から上がってくる。とても登山できるような環境ではない。

日頃下界で蒸し暑い中で仕事していて、山の爽やかな空気を期待して行っても、これではたまったものではない。

午後になると、下界との温度差によって、危険な雷雲が発生する。

山に行く気がしない。寒いときのほうがましだ。

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中山(立山川の橋が壊れていた)クズバ山(敗退)

この間からの大雨で、山行どころではなかったが、本日は「梅雨の晴れ間」が覗いたので、近くの「中山」に行ってきた。

しかし、大雨の影響でなんとなく歩きにくい。おそらく登山道に水が流れて川のようになっていたのだろう。

クズバ山にも初めてチャレンジしたが、この山は後から来ることにした。なぜなら、少し登って分かったのだが、早月尾根よりもかなり急なレベルの泥の坂道が延々と続き、しかもロープなどがまったく無い。正規の登山道では無いので、整備されていないのだ。これは生半可の気持ちでは臨めないと思ったので、標高1350mになったときに下山した。全体の1/3ほどの行程であろう。山の上も雷雲が出てきているようであった。剱岳も間もなく雲の中へ。

帰りは東小糸谷経由で降りると、とんでもない光景が。

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中山山頂はすっきりと剱岳の大展望。他にも登山者がちらほら。

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剱岳が雷雲で覆われてきたので、足早に下山。

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立山川を渡ろうとすると、橋が無いではないか!!!どうしよう。先日の豪雨で橋のこちら側が深くえぐられている!

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流れは極めて早い。ここが渡れないと、また登り返さなければならないので、「覚悟を決めて!」渡ることに。かなり恐怖。水は雪渓の雪解け水なので、凍るように冷たい。

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崩壊箇所のアップ。一部が完全に流されている。もう少し流されていたら、渡れないところだった。

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生のままの現実、それ以外に、いったい何があるだろうか?

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「自然と人間」「科学と宗教」など、いろいろな対立概念について、このブログで多くを語ってきた。

「結局のところ、あなたはどう考えているのか? 科学と宗教と、どちらを信じるのか?」という声が聞こえてきそうだ。

山に登りながら考えてきて、ひとつはっきりしていることがある。それは、そんな対立関係など、所詮は人間の頭脳が作り出した幻だ、ということ。

「それでは、この世は皆、幻なのか? 我々の生きていることには意味が無いとでもいうのか?」

そんなことを言っているのではない。現に目の前にある現実は、決して否定できないし、それを否定することは、大きな間違いを生むことになるだろう。

目の前にはただひとつの現実があるのみだ。それを人間に便利なようにするのが科学であれば、それを利用させてもらうだけだ。

また、別の視点から本質的に考えることが出来るようにするために、仏教哲学なども勉強する。

山に登っている時、疲労などで道迷いでもするならば、死んでしまうだろう。

それと同じように、普段生きている時でも、目の前の現実をしっかり認識しないと、道を誤ってしまうことだろう。

間違いをしないように、いろいろな工夫をするのは、自分の身を守るために必要なことだ。

神様がいるとか、居ないとか、それは個々人が感じることであり、言葉に出して言うことでもないだろう。誰かがそんなことを大声で言うならば、そこに向かって人が道を誤って進む場合もないだろうか?

逆に目の前に展開される現象世界に対して、「こんなものは何の意味があるのだろうか?」と絶望的に思い込む場合もある。

「世の中は、空(くう)だ」という言葉を誤解して、自然のリズムに逆らうような滅茶苦茶なことをやっている人間もたまに見かける。

「空」というのは、言葉で表現できない、厳しい自然の理法そのものだ、ということを知れば、「空」というのは何も無いことでは決してないことを知るだろう。

自然の理法は科学の法則や公式と一致していなければならないはずだ。現実だけしかない。

誤解とは恐ろしいものである。人間の頭は目の前のありのままの姿にいろいろな幻想を付け加え、それを本当だと思ってしまう。

生のままの現実、それ以外に、いったい何があるだろうか?

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