生のままの現実、それ以外に、いったい何があるだろうか?

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「自然と人間」「科学と宗教」など、いろいろな対立概念について、このブログで多くを語ってきた。

「結局のところ、あなたはどう考えているのか? 科学と宗教と、どちらを信じるのか?」という声が聞こえてきそうだ。

山に登りながら考えてきて、ひとつはっきりしていることがある。それは、そんな対立関係など、所詮は人間の頭脳が作り出した幻だ、ということ。

「それでは、この世は皆、幻なのか? 我々の生きていることには意味が無いとでもいうのか?」

そんなことを言っているのではない。現に目の前にある現実は、決して否定できないし、それを否定することは、大きな間違いを生むことになるだろう。

目の前にはただひとつの現実があるのみだ。それを人間に便利なようにするのが科学であれば、それを利用させてもらうだけだ。

また、別の視点から本質的に考えることが出来るようにするために、仏教哲学なども勉強する。

山に登っている時、疲労などで道迷いでもするならば、死んでしまうだろう。

それと同じように、普段生きている時でも、目の前の現実をしっかり認識しないと、道を誤ってしまうことだろう。

間違いをしないように、いろいろな工夫をするのは、自分の身を守るために必要なことだ。

神様がいるとか、居ないとか、それは個々人が感じることであり、言葉に出して言うことでもないだろう。誰かがそんなことを大声で言うならば、そこに向かって人が道を誤って進む場合もないだろうか?

逆に目の前に展開される現象世界に対して、「こんなものは何の意味があるのだろうか?」と絶望的に思い込む場合もある。

「世の中は、空(くう)だ」という言葉を誤解して、自然のリズムに逆らうような滅茶苦茶なことをやっている人間もたまに見かける。

「空」というのは、言葉で表現できない、厳しい自然の理法そのものだ、ということを知れば、「空」というのは何も無いことでは決してないことを知るだろう。

自然の理法は科学の法則や公式と一致していなければならないはずだ。現実だけしかない。

誤解とは恐ろしいものである。人間の頭は目の前のありのままの姿にいろいろな幻想を付け加え、それを本当だと思ってしまう。

生のままの現実、それ以外に、いったい何があるだろうか?

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