人間と自然を分けたのは誰か?

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『山怪』という言葉に違和感を感じる、と昨日書いた。

不思議な現象を「怪異」と感じるのは、自然と人間が分離している、という考え方が原因ではないか?と。

よくよく考えてみれば、どんな高度な機械でも、コンピュータでも、自然由来である。石油は自然が作ったもの、原子力ですらウラン鉱石から採れた物質をもとに作られている。新しく発見された原子も、素粒子でも、それは自然現象である。

よく考えてみれば、人間が作ったものなど、この世には存在しない。

広い視点から俯瞰すると、すべてはこの「一つの現象世界」の中に収まる。

そのリズムを、人間ごときが、変えることなどできるものか。

変えているように見えているものも、よく考えてみれば、自然のなせるわざである。自然破壊ですら、自然のなせるわざだ。なぜなら、人間は自然に含まれるからだ。

人間という名を持った自然が、虫のように地表に巣食って、広がっているだけに過ぎない。

科学だと人間が考えているものや、私たちは他のどんな生物より高度な生き物である、と考えているその存在も、やはり自然そのものである。

こう考えていくと、この世には否定するいかなるものも無い。

ただ、全てが人間の都合で(その都合が、何の意思によるのかは知らないけれども)いろいろ考えられているだけである。その「都合」ですら、自然の力で生み出されたものだ。

人間と自然を分ける考え方は、その根底に何らかの事実で無い考え方を含むから、不安を感じるのではないだろうか?

自然と人間が、同じものだ、と考えることで、この不安はなくなるのでは無いだろうか?

それはとりもなおさず、「おおきな流れに身を委ねる」ということになるだろう。

目の前にはっきりと見える現実を見据え、自分のできること、与えられた作業をこなしていく。それこそが「委ねること」ではないだろうか?

人間はいずれ年老いて、病気になり、そして死んでいく。おおきな流れに委ねれば、それを素直に受け入れることができるようになるのではないだろうか?

それを感じるにはお金はいらない。ただ、受け入れるだけでよいのだ。

何かほかにあるだろうか?

あるとすれば、そいつを見せて欲しい。たぶん何も無いし、もしも仮にそんなものを見たところで、何も変わりはしない。

自然と人間を分けた人は、誰かは知っているけれども、敢えて言わない。

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