山怪 山に入れなくなるほど怖い本

話題になっている『山怪 山人が語る不思議な話』を初めて読んだ。これは登山する人にとっては「閲覧注意」の本かもしれない。

必ずしも山の中で経験した怪談ばかりではない。山里で起こった奇妙な出来事、背筋も凍るような恐ろしい体験談が多い。

著者は実際にフィールドワークを行い、全国を歩き、聞き取りを行った。

最近の話もあるので、読む人は妙なリアリティーを感じてしまい、それがまた恐ろしさを増幅させる。山小屋や、テントの中ではきっと読めないだろう。ただでさえ真っ暗闇の中だ。

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著者は普通のホラー話を書こうと意図してこれを書いたのではない。それなら、世の中に溢れている妖怪本やその他の「ほんとうにあった怖い話」のほうがよほど面白いだろう。

著者本人も言うように「人間の奥底にある水脈を」探し当てることが、この本の意図するところである。多分に民俗学的な要素も含まれている。「現代の『遠野物語』だ」という評もあったが、言い得て妙なるかな、である。

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日輪

私のような単独行者は、相当肝が座っていると思われるだろうが、実際のところはとても小心である。

危ないと思えばすぐに逃げる。お山に失礼なことはしない。お山のものは、石ころひとつでも、持ち帰ってはならない、という言い伝えを守っている。

真っ暗闇の中、たった一人で午前2時に剱岳の馬場島から早月尾根に入った時は、ほんとうに怖かった。もう何様が出てこられようと、その方に命を預けよう、という決意で入った。

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冬山にたった一人で入る時も、ほんとうに恐ろしい。一歩間違えば死である。おまえはなんでそんなことをやっているのだ?と自分に質問したくもなる。しかし、足が山に向かう。

『山怪』に書いてあったように、私は狐にでも取り憑かれているのだろうか?

いや、そういう類ではないと思う。何かに呼ばれるように、気がつけば誰もいない山の尾根や、腰まで埋まる雪の中をたった一人で、歩いている。

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山には確かに何かいる。目には見えないけれども。それは私の心の垢を取り除いてくれるありがたい存在だ。文明に打ちのめされて、曇ってしまっている心の中の鏡を、きれいにしてくれる、何かがいる。その存在は、恐怖の極限の向こう側にいるような気がする。まだそこまで怖い目には遭っていないが。もちろん、そんなことには遭わない方が良いに決まっている。しかし無意識的にその向こう側の世界を見てみたいと思っているのかもしれない。

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命を失ったら、それはそれでいいのかもしれない。こんなちっぽけなダニかノミみたいな存在を、山の大きな生命が受入れようが受け入れまいが、そんなことで変化する大自然のリズムでもない。

大自然のリズムを直(じか)に感じて、心が怯えるようならそれは、心が本来の姿を失っている、ということになるのではないだろうか?

本当は、怯えることなんて何もないだろう。なぜなら、それが自分の本当の姿だからだ。普段見たくないものを、突然見てしまうのを恐れているからこそ、恐怖が生まれるのではないだろうか?

もっと書きたいことが沢山ある。

『山怪』というのは、僕に言わせれば『山怪』などではない。そう言うと、自然と人間の分離を強調しているようで、なんとも言えない悲しい気分になる。

そうではなくて、それは「山の命」そのものなのではないだろうか?

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