山と多様性

野球を見ていると、このところ「ヒーロー」を頂点とするチーム(巨人とか日本ハム)とかが負けてきている。巨人とかは有名なスター選手をそろえ、見るからに強そうだが、実際にやってみると勝てない。むしろ無名な選手がまとまっているチーム、いろいろな選手を揃えているチームの方がはるかに強いのだ。

これは何を意味するのだろうか?

一つが「野球」はチームプレーで、一人でやるものではない、ということ。もう一つが、スター選手になるには長い年月がかかる、ということだ。

山の木々を見ていると、巨大になった木がよく倒れている。寿命が尽きると、自然に倒れている。倒れると若い木が生えてくる。また、様々な種類の木が生えている。

一方人工林を見ていると、人の手によって保護されている巨大な木がある。また、その種類の木以外は生えていない。非常にアンバランスで、違和感を感ぜざるをえない。

どちらが良いとか悪いとかは言えないが、多様にいろいろな木々が生えている山は、動物も多く、豊かであるように見える。

人間社会も最近このことに気がついてきたのか、様々な価値観や視点を受け入れようという「多様化推進」の流れになってきているように思う。

一神論的ではなく、さまざまな価値が複雑に入り組んでいる社会のほうが、豊かになれるということに気がついてきているようだ。

これはとても良い傾向だ。

人間の価値観を一元化してその集団の価値以外を受け入れない、という原理主義的な考えかたが、最後に行き着くのは、戦争と暴力以外にはなかったことを、私たちは多くの血の犠牲ととともに、学んできたはずだ。

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