浄土を探す

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山に登ることは、僕にとってこの世のものとは思われないほどの「美しい世界」を探す旅でもある。

この世は悩み、苦しみ、悲しみ、恐怖に満ちた世界である。

浄土経典などでは「五濁悪世」と言っている。人間の心の混乱が、この世界を苦しみに満ちた世界にしている。

人間の醜さ、おぞましさ、汚らしさは、ここにどれだけ書いても書き足りないだろう。

手っ取り早く、この世の汚れを見たいならば、ネットで最新のニュースでも検索すれば十分だろう。戦争、殺人、暴力、ありとあらゆる人間の醜さを、毎日のように見ることができる。

いったい人間というのは、こんな存在である以外に、何か存在する意味があるのだろうか?と思うくらいだ。

しかし実際にそうなんだろうか? それでいいのだろうか? もし本当にそうだとしたら、それをどう受け入れていけばいいのか?

そんな世界が、楽しいだろうか?こんなニュースを毎日のように見せつけられて、生きる意味を、誰かが見出せるだろうか? おおきな苦しみだけの塊(かたまり)。それが人間社会の本体のようにも見えてしまう。その中で、少しでも楽しそうな表情をしているならば、杭でも地上に打ち込むように、そういう人間は叩き潰される。人間は他人が幸せそうにしているのを、我慢できない存在であるらしい。

自分もそうなのだ、その仲間なのだ、ということを受け入れても良いのか?ほんとうにそれでいいのか?

このような世の中。そこを離れて、「ほんとうに美しい世界」を探す。昔の人たちは、こういう動機によって、深山に登拝してきたのではないか?。ずっと大昔からそうなのである。

自分の身体が苦しみの原因であるならば、それを否定してもよいとすら思っていたのではないか? それは極限まで突き詰めれば「死」を意味する。今でもそういう人々は、確実にいる。

汚らわしいと思っている「生」、「死」。それらを包み込む存在。

汚らわしさや、汚らわしくないものとの区別もつかない、そういう世界。

大きな何かを、感じ取るために、山に登るのである。それが、人間社会にとって、どんなに無意味な行いであったとしても。

 

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