統合情報理論について

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最近の科学的研究でわかってきたことは、脳があたかも電球みたいなものである、ということらしい。つまり電球がある一定の電流で点灯するように、脳も一定の情報がまとまった時に意識を持つのだという。

意識の統合情報理論

斜め読みしてみると、だいたい以下のようなことを言っているのではないかと思った。

「人間の意識は脳のネットワークがある段階に達した時発生する。五感の情報を統合して意識が生まれる。段階に達しない時、意識は無い。意識は完全に脳の生み出すものである。人工知能にも意識がある。意識=脳である。」

精神現象を脳の中の微細な電流が生み出すものだとするならば、死んだ時、すべての電流が止まるわけだから、精神現象もすっきりと無くなる。ギリシャの哲学者、アリストテレスも、だいたい同じようなことを考えていたと思う(『霊魂論』参照)。

意識がどうやって生まれるか、死んでからどこに行く(どうなるか、という方が正確か)というのは大昔からの人類の悩みの種であった。いろいろな宗教がこの「わからないもの」にいろいろな解釈を与えて来た。

統合情報理論によれば、それらはすべて無いことになる。

しかし「無い」と言ってしまうのも、実は間違いだ。なぜなら「ある」とか「ない」とかの判断が、だいいち意識がないと成立しないからだ。

アリストテレスは「この問題は非常に難しい」と書いている。現在でも、この問題は正確には解明されていない、と思う。

人工知能に意識がある、というならば、足が生えて歩き出すこともできるだろう?

でもなぜそれができない? つねに電気を供給してやらなければならないシリコンチップが、自律的に運動能力を獲得するなんてことは決して無いだろう。人が人工筋肉を作って、サーボモーターで動かしてやらない限り、動くことさえ出来ない。

精神とか意識とかは、「考えられない」ものだと思う。変な宗教はそれにいろいろな話を付け加えて、どんどん話を膨らませていくが、所詮作り話にすぎない。

「ある」「なし」、「0」「1」、「ON」「OFF」、「真」「偽」という状態が無いものは、言葉にすることは決してできないし、もしもしているならば、すべて「作り話」である。

これらの「対立状態」は、意識の中にしか無い。現実には何も無い。電流も、精神も、皆無いとも有るとも、言えない。「言う」ということは「意識」がある前提がないと、不可能だからだ。

何かを考えている人が、「考えていることそのもの」を評価することは、不可能である。

昔の人は「自分自身の肩の上に登って踊ることは出来ない」と言った。

それについて考えることは、無駄だということである。

無駄ならそんなことを考えなければ良いのだ。

しかし考えてしまう人がいるところが、人間のおもしろいところだ。

 

 

 

 

 

 

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