登山を「楽しもう」

「山のグレーディング」は山の難易度に段階をつけて表にしたものだ。長野県、岐阜県、山梨県などがホームページで公開している。

https://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangyo/kanko/gure-dexingu.html

また、個人が独自にランク付けしたサイトもいくつかある。

http://www.yamaquest.com

正直、どれもあまりあてにならない。なぜなら、山はみな危険だからだ。

逆にこんなものを作ると、ゲーム感覚で山に登り、結果自分の力に慢心してしまう人もいるのでは無いだろうか?「おれは大キレットを歩いた」とか「奥西を縦走した」とか。

Exif_JPEG_PICTURE

どんな山でも、すべて危険である。だからといって山に登ったことが無い人にいきなり穂高の吊尾根は無理であろうが。しかし、近くの里山でも遭難する人は遭難する。

遭難するかしないかについては、山のレベルよりも「人」のレベルの方が大きく関係するのではないだろうか。だから「ヒマラヤに登ったことがある」人でも、あっけなく遭難してしまうことがある。「登山技術」は、遭難に関しては、関係がないと言える。かえって技術のある人は慢心のあまり、「自分はどんな危険にも対処できる」と思いがちだ。しかし大自然の力はそれよりもはるかに大きいのだ。

では、どうすれば山で遭難せず、無事下山できるのか。どんな人が、遭難しにくいのだろうか?

それは「勇気」において「マイナス」である人、つまり「ビビり」な人なのではないだろうかと思っている。謙虚で無理をしない人が一番レベルが高い。

なぜなら、大きな事故は「向こう見ずな行動」が原因である。「危険に飛び込む勇気」は確かに大切かもしれない。そうでないと、前に進めないし、「山頂」にも立てない。

「危険に立ち向かう行動」は、常に生命の危険を伴う。それに対して恐れないことを人は「勇敢」と呼んでいる。しかしそれは登山に当てはまるのだろうか?

登山に「勇気」は必要無いと思う。今日、少なくとも日本の山はすべて登頂され、様々なルートが開拓され、もはやどこに登ろうとも、そこは人間の到達したことのない場所ではないからだ。私たちはすでに誰かが登り、誰かが歩いた道を、歩いている。

だとすれば、初登頂の栄誉は、日本の登山には存在しない。

だったら、そんな栄誉を求めずに山を楽しもうではないか。極端に険しい山を登る必要も無い。山の美しい景色に癒され、自分の体調を気遣い、無理なら引き返そう。山頂に誰が立っていたとしても、そこはかつて誰かが登った場所なのだから。先人の驚くべき体力や気力を偲びつつ、山の空気を胸いっぱいに吸い込み、そこらの草むらで弁当でも食べよう。

下界にはいない生物を観察するのも良い。美しい景色を写真に収めるのも良いだろう。

山は楽しみに行くところ。

せっかくの楽しみを、危険の連続にしてしまっては、台無しだ。

 

広告
カテゴリー: エッセイ パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中