共通認識

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文字は何故読めるのか?「白」い部分が背景にあり「黒」い部分と対照(contrast)があるから、文字は認識される。風景も同じである。目に見えるものは皆、光の対照を認識しているだけである。

脳はその神経の刺激を記憶している。これこれはどういう意味、これこれはどういう風景とか。

結局、大脳や脊髄、その他の神経ネットワークが、これらの世界を作っているのである。

神経の作られ方、神経ネットワークは、「個人個人」ごとに違っている。

だから、お互いに文字の読み方、受け取り方は様々である、ゆえに、個人個人がお互いに理解し合うことは、厳密に言うとありえない。

世界には(人間だけに限っても)さまざまな違った神経ネットワークを持った存在がいる。それぞれが全くちがう考え方を持っている。しかしながら、共同作業を行ったりすることができる。

人間だけでなくいろいろな動物にすらも「共通認識」がある。それに従って社会を作っている。「共通認識」が壊れてしまうと、人々はばらばらに行動し始めるだろう。

さて、最近は世界が分断と混沌の中に向かうような傾向が見えている。「共通認識」が一種の幻想であることがだんだんわかってくるにつれて、人々は自分のことを配慮するだけになってきている。

これがもっと進むと、どうなってしまうのだろうか?

全く先が読めないのである。

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「バベルの塔」は、人間が天国に挑戦したからではなく、人間の「言葉」がさまざまになって、人々がばらばらに行動するようになったので、完成できなかった、という。

まあ、それはそれで良いような気もする。

あまりにも言葉の意味がわかりすぎると、却って苦しみが増えるようになるだろう、と思うのは東洋的な感覚だろうか?

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