ソクラテスの雄鶏

 Κρίτωνἔφητῷ Ἀσκληπιῷ ὀφείλομεν ἀλεκτρυόναἀλλὰ ἀπόδοτε καὶ μὴ ἀμελήσητε.’

“Crito, we owe a cock to Aesculapius. Pay it and do not neglect it.”

「クリントンよ。私たちはアスクレピオスに一羽の雄鶏の義務(=供物としてささげる)がある。それを支払え、そしてそれをするのを忘れるな」

プラトン著『パイドン』118a節

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以上の言葉は、ソクラテスの遺言だと言われている。

ソクラテスは若者を惑わした罪で、アテナイ市民に告発され、死刑判決を受ける。脱走出来るような環境であったらしいが、本人は「法令遵守」を貫き、それを「善く生きること」と解釈し、自ら毒人参入りの盃をあおった、と言われている。

この文章は昔から「謎の言葉だ」と言われ、いろいろな哲学者によって解釈されている。

一番有名なのが「生きるということは、病気のようなもので、それを取り除いてくれるアスクレピオス(=医学の神)に感謝を捧げるのをわすれるな」という解釈。

ニーチェなどもこのように解釈し、ソクラテスは「生きるということは何の意味も無いものなのだ、と解釈していた」と考えて、批判している。

二番目の解釈は、アスクレピオスは東方起源の神であり、永遠の生命を約束するものであるから、ソクラテスは死後の永遠の生命を願った、という解釈。

そして三番目の解釈は、文字通り、単に雄鶏奉納の義務を忘れていた、という解釈。

この部分のフランス語訳は「われわれは」という言葉が「わたしは」という一人称単数になっているという。岩波文庫の日本語訳でも「われわれは」という言葉が無い。

古典ギリシャ語は読めないが、古典サンスクリットに似ているとすれば、 ὀφείλομενという言葉は1人称・複数・不完全過去形(アオリスト)なので、「われわれは」という言葉が入るべきである。

ὀφείλομεν はowe(義務がある、あるいは借りがある)という意味なので、「われわれはアスクレピオスに一羽の雄鶏(= ἀλεκτρυόνα)の借りがある」となる。

アスクレピオスは医学の神。アポローン神の子供で、この世に毒と薬をもたらした神と言われている。

アスクレピオスに対する捧げものは当時雄鶏だったらしい。アスクレピオスに祈って、願いが成就すれば雄鶏を奉納するという決まりがあったらしい。

つまり、ソクラテスは「毒人参」という毒の力を、アスクレピオスから借りて死ぬのだから、その「力」の借りを返しておいてくれ、という意味ではないだろうか?

「われわれは」という言葉が入らなければならない理由は、それが当時のギリシアの習慣だったからである。ソクラテス一人だけではなく、もしアスクレピオスの力を借りたギリシア人ならば、誰もがそうする必要があったからである。

 

ここの部分はこれに続くクリトンの言葉が「うん、きっとするよ」と、さっと流しているので、あまり深い意味は無いのではないだろうか。つまり、ソクラテスは当然そうするべきことをしろと言っただけなのではないだろうか?

このエピソードはソクラテスが死ぬ直前まで「法令遵守」し、「よい習慣(=神に捧げものをする)」に従った、つまり「善く生きた」ということを表したいのだと思う。

来年は酉年だ。ソクラテスのように「善く」ありたいものだ。

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