人類学 レヴィ=ストロース

「文化人類学」をやろうという人は、たいていクロード レヴィ=ストロース の以下の書を読むだろう。これは正しいやり方だ。「某自称人類学者」の怪しい解説によってレヴィ=ストロースを理解するよりは、これらの原典を直接読むことによって、理解を深めることをお勧めする。

「文化人類学」は「宗教学」ではない! 何の関係も無いこれら二つの学問分野を、面白おかしく結びつけて、挙句の果てにあのような重大な事件を起こした、とんでもない学者(誰のことを言っているか、読者の皆様ならお分かりになるだろう)に惑わされてはいけないと思う。

正確には「構造人類学」ともいう。要は、ヨーロッパ人が、ヨーロッパ文明以外の文化の風習、伝統の中に、ある規則性(これをレヴィストロースは「構造」と言っている)を見つけ出し、これが実はヨーロッパ人が持っている「高度な」文明社会の「構造」と根源的には同じだ、ということを発見する学問だ(この「同じ」が誤解され、「未開社会の文化の方が優れている」という間違った解釈をするのが、某学者の主張するところだ)。

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深読みをすれば、レヴィ=ストロースは以下のように言いたいのかもしれない。ヨーロッパ人はもともと、「健康な」社会を持っていた。それが高度にシステム化され、本来の「原始的な」社会から遠ざかり、現在の不健康な社会構造を持つようになった、と。マルクス主義の理想とする「原始共産制」社会への憧れを強く感じるのだ。

しかし彼は単なるマルクス主義者ではなく(そこはレヴィストロースの偉大なところだ)、冷静な科学的分析(数学的?)によって、どんな社会も「記号」に置き換え、その「記号」の作る「構造」が、非常に高度で複雑なシステムを持っている、ということを示す。

これにより、「人類」は皆同じなのだ、ということを示す。どこにも「劣った文化」「優等な文化」はありえない。

「自分の民族だけが優秀であり、他は劣等だ」という、ヨーロッパ人の「自文化中心主義」が否定される。

ただ、これは間違ってもヨーロッパの科学文明を否定するものではなく、むしろ高度な数学的分析を用いることで、実は他の文化にも同じような高度な文明がある、ということを示しているだけなのである。

ただ、それだけのことだ。それ以上言うと、「文化人類学」は客観的な「科学」ではなくなる。「文化人類学」は「思想」とは違う!。もしも「思想」であれば、それは現象世界を表していない、何の役にも立たず、普遍性も持たない「面白い文学」で終わってしまうだろう。

レヴィ=ストロース本人は、ヨーロッパ文明にかなり嫌気がさしていたようだが(先の某自称人類学者は、この本質的では無い「ヨーロッパ文明批判」の部分を、あたかもレヴィストロースの考え方の本質であるように解釈するから厄介だ)、それを否定することが不可能であることを自覚している、なぜなら彼自身、ヨーロッパ人であることを否定できないから。

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