剱岳 針山地獄

映画『剱岳・点の記』で一躍有名になった剱岳。明治時代に陸地測量部の柴崎測量官によって登られたが、それ以前に山岳修験者によって登頂されていた、という話は、この映画によって、広く知られるようになった。

この山に登ることは、明治以前は禁忌であった。

江戸時代の記録は以下のように伝えている。

「剱岳はその険しさは言語を絶し、鳥でなくては登れない」

「人間がそこへ行くことは出来ない」

「弘法大師が草鞋六千足を費やしても登れなかった」

「加賀藩士、増崎藤左衛門が登頂に成功したが、金沢への帰路急死した」

また、立山曼茶羅では剱岳が針山地獄に見立られ、罪人が鬼に追い立てられている姿が描かれている。

剱岳には「不思議の石塔」が描かれている。自然石でできた五重塔があるという。

修験者たちは別山山頂や、奥大日岳の麓からこの山を伏し拝み、護摩を焚いて祈った。

「剱岳はまさに畏怖すべき、戦慄するべき山だったのである。」

剱岳大窓雪渓の残雪は、麓からは「シカノハナ(亡者の枕元に立てる造花)」に見たてられていた。この山は昔から死のイメージを持たれていたのである。

「江戸時代、快天という行者が剱岳登頂に成功し、そのことを言いふらしたため、反逆者として虐殺されたという口碑もある」

「剱岳は登山禁忌の思想に深く塗り込められていたのである」


剱岳は死後の世界そのもの、それも「地獄」とみなされていた。そんなところに、好き好んで入る人間はいなかったと思われる。

修験者が験力を得ようとして、たまたま登ったとしても、掟破りとして殺されたりしたものだろう。そうやって、この山は「人間の世界」とは隔絶した世界として保たれてきたのである。

現在では誰でも登れるようになったが、それでも、どのコースから登るにしても、登頂は困難である。

この山がその荒々しい山容、急激に変わる気象によって今もなお、安易な登頂者を拒み続けているということは、驚くべきことだ。

 

(参考文献:高瀬重雄編「白山・立山と北陸修験道」『山岳宗教史研究叢書10』、昭和52年、名著出版)

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小窓尾根 まさに針山地獄

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