訃報:uedayasujiさん

私の言いたいことはこちらのサイトを参照していただくとよくわかります。同じことを考えていた人がいたんだな、と思っています。

「ヤマレコ」に書いていた頃に、「拍手」やらコメントやらを頂いたことがある、uedayasujiさんが、八ヶ岳の真教寺尾根で遭難死された。

5月30日に発見されたようだ。享年63歳。

uedaさんは、僕と同じように単独行を好まれていたようで、いつも夜中から登り始めると書いておられた。

自宅が大阪で、土曜の午後から車で北アルプスなどに来て、そのまま(夕方から)登山を始めるパターンだったようだ。わたしは何回か「山で死ぬと、奥さんが悲しまれるよ」と書いておいた。しかし、そのスタイルをずっと続けておられたのか、と思うと、残念な気持ちを隠しきれない。

僕がヤマレコに書くのをやめたのは、プロフィールにあるように、危険な行動をわざわざ取って、「拍手」を得ようとする人がいるからだった。

これは必ずしもuedaさんに限ったことではなくて、多くのそのような人がいたからだ。

一体、山に登るということはそのようにわざわざ危険な場所に行き、自己の体力の限界を試し、それを他人に知らしめる行為なのだろうか?

私たち人間は、自然の恐ろしい力の前では、どうする術もない。

いったん山が荒れれば、その場に「ノミ」のように這いつくばるしかない。体温は奪われ、意識は遠のく…

高さ10mから滑落しても、打ち所が悪ければ即死。運が良くても、行動不能は免れない。

そのような弱い存在が、どうして大自然と張り合えるだろうか?

敗因が大きすぎて、戦いにならない。

私が山に登るときは山の怒りを抑えつつ、感謝しつつ、一歩一歩を歩かせていただくだけだ。戦いを挑もうとは思わない。戦って運良く帰ってきたとしても、いつかは負けるだろうと思っているから。

uedaさんは、大自然と張り合うことで、生きる勇気を山からもらっていたのだと思う。それは私も理解できる。そこまでは、何の問題もなかった。

しかし彼が無謀になってしまった本当の原因は、「無謀な行動を面白がる人」あるいは「無謀な行動を好奇心で応援してしまう人」がたくさんいたからではないかと思う。

それが「拍手」という具体的な数字になって現れたとき、無謀な行動に拍車がかかってしまったとしたら…

まず、「自分を知ろう」。

高い山、誰も登っていないルートを行くときは「本当に自分がそこに行って、安全に帰ってこられるのか」を考えなくてはならない。それが考えられないということは「自分を見失っている」ということではないか?

最後に。uedaさんは掲示板で話している限り、とても良い人でした。同じ東洋哲学系の学部の出身のようで、話していてとても面白かったです。

亡くなったことは、とても残念です。ご冥福をお祈りいたします。

Exif_JPEG_PICTURE

八ヶ岳方面を望む 2014/10/24 @金剛堂山より

広告
カテゴリー: エッセイ, 日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中