捨てること

生きる事がつらくなることがある。あまりにも人生がうまくいかない。思い通りに行かない。
そんな時、すべて投げ出したくなる。つらさから、逃げ出したくなるのだ。
しかし「つらい」と思う状況は、「逃げ出せない」からつらいのだ。
もしも逃げ出せるなら、少しは楽にならないだろうか。Exif_JPEG_PICTURE わたしはそういう「つらさ」を背負った人に、登山を勧めたいわけではない。しかし、登山することで「つらさ」を捨てられる可能性がある、ということは強調しておこう。
ただしである、それを捨てることもまた「つらい」のである。Exif_JPEG_PICTUREそういう人は歩く時に何も考えてはいけない。ただ一歩一歩、足を踏み外さないように、道を歩けば良い。単純な動作である。歩くだけなんだから。
Exif_JPEG_PICTURE周りを見れば、どんどん光景は変わってゆく。時には、危険を感じながら。空気は薄くなって行く。普段生活している圏外へ、出るのだ。
Exif_JPEG_PICTURE高山ともなれば息をするのもつらく、疲労はピークに達するだろう。しかし、その「つらさ」の中で、前から抱え込んでいる「つらさ」は、捨てられてしまう。それを「六根清浄」という。すべての悩みは、実は自分の心が空回りして、作った妄想なのだと見抜く事が出来るだろう。
Exif_JPEG_PICTURE いかに知能をつかっても、どんな良い薬でも、こころの中の妄想は消えない。それらは自分の手で捨てるしかない。目の前にみえるのは、ありのままの自然。
そのとき登山者は「あ、なんにもしなくて良いんだな」と思う。Exif_JPEG_PICTURE 今歩いているのは、自分ではないか?なんのために歩んでいる?頂上なんて、ヘリコプターで行けばすぐである。しかしなんでわざわざこんな苦しい目に遭いながら歩くのだ?Exif_JPEG_PICTURE そこで一息つくと、頭は空っぽになり、ありがたそうなお説教や理論や、そんなものでは得られない安らぎを得るだろう。ここにあるものは、何一つ、お金でも、努力でも、買えないものなのだ。
これほど貴重なものが、どこにあるだろう?Exif_JPEG_PICTURE そして「自分ももしかしたら、この世界の一員なのかもしれない」と思うだろう。
もしかしたら、ではなく、確実にこの世界の一員なのである。Exif_JPEG_PICTUREそのとき、全ては捨てられる。あっさりと、今までの妄想を捨て、あらたな気持ちで下山の途に就く。
今までとは何か違った人生を歩むことが出来る。
こういう作業をするには、単独で山に登らなければならない。人間はグループになると、社会だから。社会は欲望を増幅するから。

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