『山姥の記憶』

 

斎藤泰助先生の最後の著作となった『山姥の記憶』を読んだ。先日登った「白鳥山」以来、山姥について俄然興味を持ち、特に「あげろ山」(白鳥山の別名)について詳しく記されているので、お盆で忙しい時間の間に、少しずつ読み進めたのであった。

img073

この書は謡曲『山姥』について、知られうるありとあらゆる文献を調査し、さらに現地調査を含めた労作である。山姥について、これほど深く調査された本はないのではないだろうか。

さらに斎藤先生は、実際に山姥を舞われた方で、宝生流の教師までされていた。2000年に急逝されたが、この本は、先生の枕元に置かれていた原稿を奥様が出版されたものだ。img074

結論から言えば山姥とは、「一般庶民の、山の神に対する畏敬の姿」である。これは農耕文化の起こる前の「焼畑文化」と深く関係している。つまり縄文時代の記憶をとどめた、神の姿なのである。Exif_JPEG_PICTURE

立山に今でも残る「姥尊」つまり「オンバサマ」は、仏教以前の「日本古来の土着の宗教」の巫女である。これこそまさしく後世「山姥」として畏敬の念をもった語られた人々の姿である。Exif_JPEG_PICTURE

私たちは、論理の世界、文字の世界にいる。縄文の昔はもちろん文字などなく、焼畑、狩猟の文化であった。それが生産性の高い農耕文化に移行するにつれ、それまで日本に住んでいた「焼畑」の民も農耕文化を継承してゆく。

しかし、彼らは山の神に対する信仰を忘れなかった。その記憶が後世になり、偏見や歪曲を経て「山姥」になっていく。

山姥はもともとは自然とともに生きる人々そのものであった。そんな素朴な信仰を、なぜ恐怖の対象としたのだろうか?

現在でも、仏教や神道の世界を、まるで「霊」や「他界」に直結するようなあらぬ印象を与え、科学文明から分離しようという考え方があるように思う。それらはかつて人々の生活と密接に結びついていた。ひとびとが仏教や神道を、生活の一部としていた時代が、かつて存在したのである。いまでももちろんそれらは存在するが、戦後急速に「信仰心そのもの」は失われてしまった。仏教や神道は生きる指針となるものではなく、単にオカルト趣味の、特殊な人が集まる場所となってしまった。普通のひとにとっては明らかに「敬遠」される存在になってしまったのである。

それはかつて「山姥」が妖怪化されたプロセスと似通っている。わけの分からぬものを、恐怖の対象として、意識から排除してしまおうとするのだ。そしてそれが「文明」だ。それまで積み重ねられた何千何万年の記憶とともに、「文明」の外に放り出すのだ。

それがどれだけ愚かな行為であろうと、大方の人間はそれに従う。

そして、また昔と同じ過ちを繰り返す。

Exif_JPEG_PICTURE
山姥は「自然そのもの」である。謡曲『山姥』は、深い仏教哲学に基づき、自然と人間の分離を戒める。このような作品を書けるのは、わたしは一休禅師をおいて他にないと思うのだが、文献学的には世阿弥の作とされている。

そして、一休禅師はおそらく、この地を訪れていると思う。

なんとなく、そんな気がするのである。

広告
カテゴリー: エッセイ, 日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中