映画二本観た。すべて山岳映画

昨日映画を2本立て続けに観て来た。一日に長編2本映画を観たのはほぼ初めて。両方とも「きれいな山」が映っている、ってのも初めて。

1、まずは今話題の「アナと雪の女王」

えっ、これが「山岳映画」の分類に属するのか?と思う人もあるだろう。しかしこれは僕の見た所、山岳映画の分類に入ると思った。なぜなら「登山者の気持ち」が随所にちりばめられていると思ったから。

風景のモデルは、ノルウェーのロフォーテン諸島
お話はアンデルセンの「雪の女王」をアレンジしたもの。
しかし原作の原型を留めないほどにデフォルメが加えられている。
それは嫌みのあるデフォルメではなく、非常にすっきりしたものになっている。

作品の美術スタッフは、インスピレーションを得るために、事前にリサーチ旅行に行ったそうだ。
おそらく実際に雪の森の中をトレッキングしたんじゃないかと思う。

内容や映像は映画館で観て頂ければよいので、割愛する。感想だけを書いてみる。

(ディズニーの公式サイトで配布されているクリップ)

雪山の描写は優れている。実際に雪山の中を歩いたことのある人間しか知らない雰囲気を表現出来ていた。氷や雪の美しさが秀逸で感心した。

例えば雪山では、本当に雪の結晶が見える。低地では雪が気温で解けてしまい、結晶を目で見ることは不可能である。映画では終始、この雪の結晶がデザインの中心を成していた。
下の写真の中には、いくつもの雪の結晶が見えるだろう。極低温の中でないと、これは見えない。Exif_JPEG_PICTURE

日本の雪山の風景も、決してノルウェーの景色に負けてはいないぞ!

これは三月に岐阜県の猪臥山で撮影した雪山の光景。Exif_JPEG_PICTURE 極低温だと、こういう光景が現れる。Exif_JPEG_PICTUREまあ、北海道の冬とかでは当たり前な光景なのかもしれないけど、南の方に住んでいると、こういう光景を観ると、本当に美しいなと思う。このなかをオラフやスヴェンが走りまわっていたら、絵になりませんか?Exif_JPEG_PICTURE

これは牛岳から4月に撮影した北アルプス。
真っ白な雪のなかを一人であるく「エルサ」が思い浮かぶような気がしませんか?DSC_0270 これは12月に高落場山から見た山々。氷の宮殿の窓から見える山々みたいでしょ?DSC_0072 これは仙人窟岳と笈ヶ岳。氷のお城みたいです。DSC_0027

岩のゴツゴツした感じは、例えば西穂高岳。アイスカテドラルに行く道みたいに見えませんか?

DSC_0192

DSC_0228

北アルプスは全般的に日本離れした風景ですね。これは焼岳。

DSCN2169

これは4月の金剛堂山から。Exif_JPEG_PICTURE Exif_JPEG_PICTURE Exif_JPEG_PICTURE

これは寺地山への道。Exif_JPEG_PICTURE

これも高落場山からの眺め。DSCN2504 漆洞山からの眺め。DSC_0210 やっぱり剱岳は、一番アイスカテドラルにふさわしいな。なんたって「雪と岩の殿堂」と言われているんだから。Exif_JPEG_PICTURE

映画をみたことでさらに「冬が待ち遠しくなった!」。

———————————————————————————————————-

2、次は木村大作監督の「春を背負って」

富山県の人間として立山がロケ地に選ばれたことは、良いことだとは思うし、誇らしくもある。
ストーリーについてはいろいろな評価があると思う。しかし「山に悪人はいない」というのは嘘。
下のリンクを読んでもらえば、それは分かる。山は基本的に「自分の命は自分で守る」場所。
「自分で帰って来られる自信がないならば、行くべきでない」。
たしかに映画の中にはそういう表現もあったが、みんなだれかに助けてもらっている。
それはちょっと甘過ぎではないか?「自分の体と相談する」というのは、登山の大原則。
無理をして遭難しても、だれも助けに来てくれない、と思わなければならない。

御池岳ゴロ谷での6日間

山ではたしかに経験者の言に従わなければならないことも多いが、歩くのは自分だ。山でにわかに出会った人が、はたして信用できるのか、命に関わるような判断を任せられるのか?
それは決して即座には出来ないだろう。人間の信頼関係は長い時間の間に培うものだからである。基本的に山上の世界も人間社会なのだ。別世界なのは景色だけ。だから僕は一人で歩く。「アナと雪の女王」のエルサのように。

しかしそれでは映画にならないかも。監督の伝えたかったことは、もっと別のところにあったのだ。

去年映画のロケ地を実際に訪れている。そのときの写真。

大汝山から、山崎カールを覗き込んだ写真。

DSC_0122 大汝休憩所(映画の中では「菫小屋」)から、山頂を望むDSC_0121 大汝休憩所。DSC_0120 山頂から、黒部湖側を望んで。この風景も、映画の中で登場する。(なぜかモンベルの社長さんも山頂でフルートを吹いているシーンで登場している(笑))DSC_0119 山頂から、大汝休憩所DSC_0117 大汝山(3015m)DSC_0116 雷鳥沢方面。ここをトヨエツと松山ケンイチが荷物を背負って登ったシーンがあった。DSC_0115 DSC_0113

3、まとめ

両作品とも「雪と岩」をうまく描いていた。美術的には良い。まず美しさを表現することで、観客に「何かを」伝えなければならないから。

もっとも「アナと雪の女王」の方は、雪と岩に加え、氷の美しさも加わっていたが。

どうして氷雪の世界は、人のこころにこれほど残るのか。人類が氷河期を生き延び、現在に至っている歴史も関係あるのかもしれない。人類のこころの奥底の風景は雪と氷に覆われているのだ。

混迷を深める世界のなかで何百万年もの間、姿を変えて来なかった自然の風景こそ、海と高い山の雪と氷なのかもしれない。

めざましい勢いで変化している環境に、人々が疲れ、しばしの癒しと休息を得るには、どうしても雪と氷の世界や、広々とした海原の景色が、必要とされるのだ。

人間のこしらえたものによって、人間の心が疲れる…
それは人間存在自身の限界を示しているのではないか。

「春を背負って」の主人公、長嶺享がなぜトレーダーを辞めたか、全くわからない、というインターネット上での評を見かけたが、その答えは、長嶺享が「人間の作ったものに疲れていたから」だと私は思う。現代の人は、そういうことまで説明しなければ、理解出来ないほど文明社会にどっぷり染まっているのだ。

だとしたら、とても悲しいことだ。監督はそういう人たちにこそ、この映画を届けたかったのではないだろうか。

「人間らしく」生きること。それによって、こころ豊かに生きられるということを、伝えたかったのだと思う。

これは「アナと雪の女王」のメインテーマでもあるのではないか。

そういうことは、人間が人間におしえて得られることではなく、人間が自分自身で「自然の中」で感じてゆくものではないか?

最後に、「春を背負って」のエンディングで流れる山崎まさよしの歌う「心の手紙」のリンクをはっておこう。

広告
カテゴリー: 日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中