極楽の裏側

一昨日の夕暮れ。Exif_JPEG_PICTURE

雲の隙間から、太陽の光りがスポットライトのように照らしていた。
昔の人は、「空の上に、阿弥陀様の極楽浄土がある」と信じていた。
この世の苦しみは、死後無くなる。

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今生きている世界は、「五濁」であるという。こういう世界は、死後まで続かない。
阿弥陀仏を念じれば、死後極楽へ往生出来る、と言う。

五濁とは、 「末世(まつせ)においてあらわれる避けがたい五種の汚れのこと」である。

  • ①劫濁(こうじょく)。時代の汚れ。飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大すること。
  • ②見濁(けんじょく)。思想の乱れ。邪悪な思想、見解がはびこること。
  • ③煩悩濁(ぼんのうじょく)。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)等の煩悩が盛んになること。
  • ④衆生濁(しゅじょうじょく)。衆生の資質が低下し、十悪をほしいままにすること。
  • ⑤命濁(みょうじょく)。衆生の寿命が次第に短くなること。

(http://labo.wikidharma.org/index.php/五濁)

いつの時代も、同じだったんだなーと思う。法然や親鸞が生きた時代も、現代も、なんら変わることは無い。

ということは、人間というのは過去にも悩んできたし、現在も悩んでいるし、未来も悩むだろう。

だから阿弥陀仏を信じて「現代に希望を持って」生きよう、というのが浄土の教えの意図ではないか。

今は苦しいけど、きっと安楽な世界が待っている、その希望を捨てずに生きよう。

「希望」を常に持っている人は、「絶望」に打ち勝つ。

しかし僕は「浄土」を見に行きたい。生きているうちに。登山すると、たまに浄土の一部を見る心地がすることがある。登山だけでなく、あらゆる行いでも、一生懸命やれば、「浄土」に近付く。

一生懸命やらなければ、「浄土」は見えない。

この世は極楽の裏側なのだが、「見たい」と思えば一瞬だけ「浄土」を見る事も出来る。

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カテゴリー: エッセイ, 日記 パーマリンク

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