生かされているということ

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私のような人間は、特に「自分で生きている」と思ってはならない。多くの人々のおかげさまで、なんとか生きさせて頂いている。

そして、いろんな人のこころのより所として、この先も生きさせていただくさだめを負って、この世に生まれて来た。

その「恩」に報いなければならない。そしてそのことを後世に伝えて行かなければならない。そのために、私が居るのである。そうでなければ、この世に居なくても良い存在なのだ。

世の中には四つの恩がある。すべての人間はこの恩をになっている。

一つは、神仏の恩

「どんな困難でも、影の力で助けて頂いている、という恩」。
自分の意識や知識の力の及ばない部分で、つねに見守って頂いている。
だからどんなに成功したとしても、決して自分の力で成し遂げたと思わない。

一つは、父母の恩

「自分をどんな困難を感じても、命がけで守って頂いた、という恩」
私を「人間」として、この世に存在させてくれたのは、親の力である。

一つは、先生の恩

「人として生きる道を教えて頂いた、という恩」
生まれたままの無知な状態から、なんとか人間社会で生きて行けるすべを教えて頂いた。

一つは、生きとし生けるものの恩

「自らの体を、食物にしてささげて下さっている、という恩」
人間はものを食べずに生きて行く事は出来ない。
命を頂きながら、生きている存在である。

http://kotobank.jp/word/四恩

これらの恩を、普段は意識していないのが普通だろう。
この「恩」を意識し、感謝の気持ちで生きてゆく事で、気持ちが楽になり、さわやかな気持ちで生きさせて頂く事が可能になる。

たくさん背負った重荷を、何らかの形で世の中にお返ししていかなければならない。そのために何ができるだろうか。

与えられた命を精一杯燃焼させる。そのことが「恩」に報いる最善の方法だ。

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